おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

見えないものを、どう見るか。

 

 

大切なものは、目に見えない。

とは、あの有名な『星の王子さま』の一節ですが、わたしは最近、この言葉についてよく考えています。というのも、先日、結婚をするかもしれなかった男性とお別れしたからです。

別れるまでのいざこざはともあれ、彼は「目に見える」部分では結婚相手として非常に理想的な男性でした。学歴が高く、大企業に勤めており、年収も高い。福利厚生がしっかりしており、空いた時間で趣味や自己啓発に意欲的。背が高く顔も良く、程よく筋肉質で清潔感もある。自分を売り込むアピール力があり、だからこそ他人から嫌われない。きっと、最近流行りの婚活市場に投入したら、市場価値はとても高いでしょう。人に自慢できる彼氏であり、彼と結婚できる女性は幸せだろうと思います。

わたしは彼を好きでしたが、しかし自分自身は、目に見えるものしか見ていなかったのだと気づかされました。彼とわたしは、考え方が全然違ったのです。結果しか求めない彼と、過程を大切にしたいわたし。譲れない部分を全く譲らない彼と、自分の譲れないところも譲ってしまうわたし(これは自分のよくないところですが)。彼は、結果が出せないわたしを、一歩も譲らずに、気の済むまで叱責していました。かたやわたしは、頑張っているのにその頑張りは全く見ずに「結果を出せ」と怒る彼に対して、イライラを募らせていました。彼は素敵な男性ですが、わたしとの組み合わせはよくなかったのです。

目を閉じて、彼の行動や言動、それがどういう思考回路から発せられるものなのかを静かに見極めていれば、もっと早い段階で別れることになっていたでしょうに。

 

先日行ったダイアログインザダークでは、暗闇の内部で、優しい声の男性にリードされました。彼もきっと視覚障害のある方。暗闇のなかでは、とてもユーモアがあって、頼り甲斐があって、すばらしい男性に思えました。でも、彼と明るい街中ですれ違っていたら?白杖に惑わされて、彼をそんな存在だとは思いもしなかったかもしれません。わたしは、目に見える情報に縛られ、そこから相手の人間性までも推し量ってしまっています。ほんとうは、目に見える部分と、見えない内面には、それほどの関係はないはずなのに。

 

目に見えないものをしっかりと見て、相手と向き合いたい。それが最近のわたしのテーマです。年収や肩書や外見やその他のわかりやすい情報に左右されず、その人の行動や言動、様子から、きちんと内面を見つめたい。そう思っていますが、実際のところ、これが上手くできないのです。どうしても、目に見える情報と見えない情報を混同して、わけがわからなくなってしまいます。

 

幸せに、心豊かに生きるためには、目に見えてわかりやすいものに価値を置くのではなく、目に見えない大切なものに価値を置く必要があると感じています。そのために、いったい何をしたら良いのでしょうか。そんなことを考えながら、毎日を過ごしています。