おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

薔薇色の人生を生きたい。

昨日雨が降ったのか、今朝はすがすがしい朝でした。不思議と青みがかった空気の中で、しっとりと湿った地面や植物のみずみずしさ。波もなく、澄んだ水たまりに映る空の色。見上げた空は、さっぱりと晴れ上がっていて、ふと見た隣家の庭には梅が花をつけていました。

 

うつになると、世界が灰色に見えるといいます。リンク先は英語の記事ですが、ドイツのフライブルク大学の教授による実験の結果、うつのひとは色のコントラストに鈍感になり、世界が色あせて見えていることがわかったそうです。

 

どこで読んだか忘れてしまったのですが、先日、「心が疲れたら、周囲の色を意識すると良い」という記事を読みました。ただ、「空が青い」「花が赤い」というのではないそうです。「近くの空は濃い青で、遠くに行くにつれ白くグラデーションになっているなあ」「口紅みたいに、こっくりとした赤だなあ」など、具体的に言葉で表現するのがよいそうです。そうすることで、色あせた世界に色を取り戻すことができるのだとか。

 

 私は、和歌を読むのが好きです。高校時代に古文の先生が万葉集の和歌をあれこれ紹介してくださったのをきっかけに、いろいろと読んでいた時期がありました。

特に好きだったのが、古今和歌集の春の部立に載っていた、紀貫之の歌。

 

桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける

青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花はほころびにける

 

当時の人々の自然を見つめ、四季の変化を捉える感性は、今ではなかなかないほど鋭敏なものです。桜の花が散る空を眺め、空に水はないのに、波が立ちそうだなあと感慨にふけったり。青柳の細い糸が布を織っているようであり、桜の花は乱れて、糸がほどけるように咲いていると、ふたつのものを対比して春を表現したり。自然のワンシーンを劇的に切り取って、細やかに表現する言葉遣いの巧みさを感じます。

 

「歩きスマホ」が問題になっている昨今、街を歩いていても、携帯の画面ばかり見ていることも多いです。携帯は便利で、乗り換え案内も、目的地への道順も、待ち合わせの相手との連絡も、全て済ませられてしまう。そんな携帯に気を取られ、自然の変化に気付きにくくなってはいないでしょうか。

 

自然の変化に敏感な人間でありたい、と思います。かつての日本人のように、梅の花の香りがしてきてから、桜の花がほころび、咲き誇り、散るのを見ながら春が去るのを惜しむ。そんな風に、時の移り変わりを体感として得ていたい。そんな心のあり方が、健康な精神につながるのではないでしょうか。