おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

買わせたケーキを投げ捨てるおんな。

「ぼくは、女の人にそう扱われたいという願望があるよ。」

今週のお題は「恋バナ」とのこと。私は、かつて恋人に言われたそんな言葉が、強く印象に残っています。

 

 村上春樹の『ノルウェイの森』に、こんな台詞があります。

「たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放りだして走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いながら帰ってきて『はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなものもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めているのはそういうものなの」 

(中略)

「そうよ。私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。『わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショート・ケーキを食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい? チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?』

 

彼はそれを引き合いに出して、「こういう女性って、君はどう思う?」と問いました。

 私は、彼が私に求めている答えは「私にはそういうひとの気持ちはちょっとわかんないや」だと思って、そう答えます。

すると彼は、「ぼくにはそういう願望がある」という冒頭のセリフ。さらに、「そういう女のひとと付き合っていて、似たようなことをしていたことがある」とのたまうのです。

「みんなに『その女はやばいよ』と止められたけど、ぼくは嬉々として話していた。」

 

私は腹が立ちました。

「そんなこと言ったら、私もあなたのこと、そういうふうに扱っていいんだって思うよ。」

 

私だって、わがままを言いたいです。

デートのプランを決めさせておいて、「気分じゃなかった」と拗ねたい。

「電話して」と言っておいて、気まぐれに無視したい。

「会いたい」と急に言って、飛んできてもらいたい。

そして時々、彼がしてくれたことに心から喜びたい。

そんなふうに、わがままを言う私ごと愛してもらって、だから私も時には怒ったり時には喜んだりして。私を喜ばせるために、いろいろなことを考えてほしい。

 

そのくらいのこと、私にもできそうです。

でもそれは、彼の男性としての尊厳を、踏みにじる行為だと思います。

私がそれをしなかったのは、彼を尊敬していたからです。

 

「この人には何をしても大丈夫」という安心感は大切です。だからといって、何をしてもいいというわけではありません。彼を人として尊重しているからこそ、過度なわがままは控えていました。私にとって、そういう思いやりこそ、相手を尊敬していることの表れでした。

 

なのに彼は他の女性に、そうした尊厳を踏みにじるような行為を許し、喜んでいたと言うのです。

だったら、私だってそうしたいです。それほどの気まぐれとわがままを許される関係ほど、心地よいものはないのだから。 

 

嫉妬と言ってしまえばそれまでですが、何とも言えない気持ちにさせられた、そんな思い出なのでしま。

休みたいのは当たり前です。

平日は12時間労働、休日出勤あり。帰宅後も持ち帰りの仕事あり。代休はなし。そんな仕事に、あなたは就きたいですか?

 

それに近い生活をしているのが、中学生だと思います。

 

 社会人になって2年目の私が、何よりも楽しみなのは、週末です。「明日から休みだ!」という解放感に溢れた金曜の夜から、のんびり過ごせる土日の時間にかけて。休みの日に何をするかを楽しみに考えながら、日々の業務にあたっています。

 

もちろん、仕事に情熱がないわけではありません。就職したときは、大いなる理想をもって働き始めようとしていました。今も、かなりの労力を仕事に注いでいます。

平日は、朝7時から。夜の7時か8時には退勤しますが、帰宅後も12時過ぎまで仕事をしています。どうせ残業代は出ないので、どこで仕事をしても同じなのです。楽しみなはずの休日も、どちらかは出勤することが多いですし、そうでなくても家で仕事をしています。

そもそもこういう働き方が当たり前の業界であることは就職前からわかっていたのですが、いざやってみると、かなり気力・体力面でしんどいものがあります。

この間、ニュースを見ていて、過労死ラインが残業80時間と聞き、驚きました。100時間くらいが目安だと思っていました。80時間なんて、ほぼ毎月超えています。

 どうやら私は、働きすぎのようです。こんなに働いていたら、休みたくなるのは仕方がありません。 

 

ところで、「中1ギャップ」という言葉があります。小学生から中学生に上がるとき、学校の仕組みや人間関係が大きく変わるので、そこから様々な問題が生じる現象のことです。

 

平成27年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果(速報値)について:文部科学省を見てみると、小6の段階では9千人程度だった不登校児童生徒の数が、中1では2万5千人近い人数に跳ね上がることがわかります。小学校と中学校の隔たりは大きいのです。

 

中学生は、激務です。小学校の頃は3時頃には授業が終わり、帰ったあとは遊んだり習い事をしたり、比較的自由に過ごしていた子どもたち。

中学校に入ると、部活があります。朝練があれば6時過ぎには家を出て、夏なら帰宅が6時半すぎ。慌ただしくご飯を食べて塾に行ったら、帰るのは夜の9時を回ります。しかも彼らは、塾や学校の宿題、それに飽き足らず、さらなる自主学習まで求められるのです。

 土日だって、部活。時には、2日ともが試合や大会で潰れることだってあります。

大人だって、こんな働き方はなかなかしていません。

 

もちろん、子どもの多くは、そうした生活を当然だと思い、楽しくやっています。私はそんな子たちの様子を目の当たりにするたび、「よく頑張るなあ」と感心してしまいます。

私も似たような時間帯で働いていますが、もっと早く帰れるなら帰りたいし、基本的に仕事はしたくありません。

子どもだって、同じです。授業に部活に塾に習い事に、彼らは忙しすぎます。

 

休みたいのは当たり前です。

不登校だって、いいじゃありませんか。

大人になって、ちゃんと職場を選べば、もっと楽に働くことができます。学校は、誰もが疲れずに通うには、ちょっと大変すぎるのです。

「よく真っ直ぐ育ったねえ」

 

大学の心理学で、ステレオタイプという言葉を習ったことがあります。固定観念

 

私は、自分は偏見なんて持ち合わせていないと思っていました。ところが、日本人は礼儀正しいとか、A型は几帳面だとか、「◯◯な人は△△だ」みたいなステレオタイプは世の中に溢れています。私も当然のように持っていました。その講義を受けた時、自分のものを見る目の狭さに驚き、目から鱗が落ちたような気持ちになったものです。

 

誰でも、そんな風にして何かを決めつけながら生活しています。悪いことではありません。今までに積み重ねた経験の中から「この人はきっとこんな人だろう」と予想して、コミュニケーションを取っていくのは当然のことです。

ただし、自分がそうやって、相手にレッテルを貼りながら会話をしていることには気づいておくべきではないでしょうか。

 

私が、「中学生の頃に不登校だったんです」と言うと、必ずと言っていいほど、

「よく真っ直ぐ育ったねえ。」

と、褒められます。言った人はもちろん、私のことを賞賛してくださっているのです。それ自体は、ありがたいことです。

 

 でも「真っ直ぐ育ったねえ」という言葉には、違和感を覚えます。なぜならその言葉の裏には、不登校の子って、どこかが変なはずだ」というステレオタイプがあると感じるからです。

 

 私は自分自身も不登校でしたし、同じ境遇の友人もいます。ボランティア活動などで、不登校の子どもたちとも関わってきました。

たしかに、中には趣味に没頭するあまり他のことが疎かだったり、集団よりもひとりでいることが好きだったり、人と話すとき緊張しすぎてしまったりと、変わったところのある子もいます。逆に、「この子がどうして不登校なの?」と大人が口を揃えて言うような子もいます。

 

趣味に没頭するあまり他のことが疎かな人。

集団よりもひとりでいることが好きな人。

コミュニケーションをとるのが苦手で、緊張しやすい人。

こういう人って、あなたの周りにもいるのではないでしょうか。そういう人たちがみんながみんな、不登校だったのでしょうか。

 

「変わった人」は、どんな集団にもいます。「不登校だから変わっている」のではなく、「どこにでもいる変わった人が、たまたま不登校になった」のです。

 

 「不登校だから、社会に不適合なところがあるだろう」と決めつけてしまう見方が、私は好きではありません。そういう一面もあるかもしれませんが、大人になるにつれ、学びを通して自分なりに、うまく生きていく術を身に付けることはできるのですから。

私は不登校でした。

 

不登校になる子」って、どういう子だと思いますか?

人間関係が作れない子?

性格が暗い子?

勉強がきらいな子?

「どういう子?」と聞かれて、プラスのイメージが湧いてくることは少ないでしょう。不登校って、一般的には、かなりの色眼鏡をかけて見られるものです。

 

仕事で知り合った方に、「私は不登校だったんです。」と自己紹介をすると、驚かれます。

驚かれるということは、少なくとも今の私は、「不登校」から連想されるマイナスのイメージをあまり持っていないということです。

まあ、毎日休まずに仕事をしていますし、ね。

 

そもそも、不登校とは何なのか。文部科学省の定義があります。

 

何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童・生徒が登校しない、あるいはしたくともできない状況にある者(ただし、「病気」や「経済的な理由」による者を除く。)」

児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査-用語の解説:文部科学省

そして、年間で30日以上欠席した子のことを、「不登校である」というのです。

 

私は不登校でした。

中学2年生の冬頃から中学3年生に上がるまでは、全く登校せず。

理由は、ありがちないじめです。

クラスの子に徹底的に無視され、机に落書きをされ、何か言うと笑われ、そんなことが続いた結果、クラスにいることが苦痛になりました。

 

たしかに、当時の私は、「不登校になりそうな子」「いじめられそうな子」だったかもしれません。

おしゃれに気をつかっていなかったので、髪はぼさぼさだし、分厚い眼鏡をかけていたし、見た目はいまいち。運動はできなくて、仲の良い特定の友達とつるんでばかり。休み時間には、ひとりで本を読んでいることもしばしば。コミュニケーションが下手で、空気を読んで笑ったり話したりできない。

などなど。

 

その後転校したり、いろいろな支援を受けたりした結果、3年の夏頃まではちょこちょこ出席日数を稼ぎ、秋以降はほとんど毎日通い、何とか全日制の高校に進学できました。

 そして今では、「不登校でした」と話すと、「え、そうだったの?」と驚かれてしまうような人間になっています。

 

自分の子どもが不登校になると、お父さんやお母さんは、「この子の人生は一生このままなんじゃないか」と心配になると思います。

自分自身が不登校の子は、「今さら学校に行ったって、お先真っ暗だ」と絶望的な気分になる日もあるでしょう。

 

でも、小中学生の頃に学校に通わなくたって、いくらでも挽回はできるのです。

人生80年の時代、平均寿命はますます伸びようとしています。そんな長い人生の中で、たかが数年間学校に行かなかったからって、そんなに大きな変化があるでしょうか。

大学に入ろうとして、浪人する人だっています。留学して、1年卒業が延びる人もいます。1年や2年のブランクは、大人になればなるほど、そんなに意識されないものです。

 

だから、大丈夫。

学校に行けない時期があったって、大人になれば幸せになれます。

それは、私が身をもって証明しています。

朝ごはんを食べる時間の確保が課題。

今週のお題は「朝ごはん」。

 

私の理想的な朝食は、窓から明るい光が射し込む爽やかな朝に、美味しいご飯。食べたあとに天気予報を見ながら、ゆっくりコーヒーを飲むことのできる、そんな優雅なひとときです。少しずつ心と身体を目覚めさせ、仕事に向けて高めていく時間。

 

現実は、とにかく栄養をお腹に詰めて、午前中のエネルギーを補給する時間となっています。

 

起床は6時。

(この時期だと外はまだ暗いので、窓から光はろくに射し込まない)

ご飯は前日の夕飯の残り。

(レンジでチンするのは虚しいし、眠いから味があんまりしない)

家を出る時間が7時。

(天気予報は見るけど、優雅にコーヒー飲む時間なんかない)

 

理想とはかけ離れた現実ですが、食べないと昼までにお腹が空いてしまうので、仕方なく食べています。

 

さらに困るのが、朝なかなか起きられなかった時。

 

最近は寒いので、布団から出るのが億劫です。また、忙しい日が続くと、睡眠が充分に取れないから起きられません。

 

10分、20分…と起床時刻が延びた場合、真っ先に削られるのが、朝ごはんを食べる時間。

全てを混ぜてとにかく口に運び、仕事に間に合うように、途中でも食べるのをやめて出発します。食べきれなかったご飯を処分する瞬間がたまらなく悲しい。

 

私の今の課題は、ゆっくり朝ごはんを食べる時間を確保することです。

欲を言うなら、コーヒーを飲みたい!

 

そのためには、朝5時半には起きたいところ。

(しかし実際には早く起きたら早く家を出て、仕事を始めると思います。激務。悲しい。)