おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

視野の狭さを自覚すること。

高校生の時、家庭科の先生が大嫌いでした。なぜかというと、その先生が授業のとき、「反抗期がない子どもはおかしい」と言ったからです。

 

「反抗期がない子どもはおかしい。私も前にそういう生徒を教えたことがあるけど、やっぱりおかしかった。」

 

私はその言葉に衝撃を受けました。私は、母から「あなたは反抗期がなかった」と言われて育ってきたのです。この先生は私には何も言わないけれど、内心ではおかしいと思っているのだろうか?

その学期の授業が終わるとき、私はどうしても納得がいかず、フィードバックの用紙に「先生は『反抗期のない子どもはおかしい』と言っていましたが、私も反抗期がないと言われて育ってきました。私もおかしいのでしょうか。」と書きました。こう書いたことによって、この先生はますます、「反抗期のない子どもはやっぱりおかしい」と思うのかもしれないな、と思いました。

それに対する反応はありませんでしたし、そもそも何人もの生徒を教えている先生が、その感想を読んだかもわかりませんけれど。

 

教育学部で勉強をして、また周囲の友人とその親との関係を見て、私自身もたしかに、「子どもが素直に反抗できない親子関係」は不健全であると感じています。しかし、その関係を作ったのは子どもだけではありません。親にも責任があるはずです。「この人は反抗しても最終的には受け止めてくれる」という絶対的な安心感を、与えることのできない親。そのことを棚上げにして、専門家である家庭科の先生が、「反抗期のない子どもはおかしい」という極端な表現を使って生徒に話をするのは、いかがなものでしょうか。

未だに私はふと、家庭科の先生の言葉を思い出します。そして、「だから私はおかしいのかな」と、そのおかしさを生み出した原因のひとつである母を恨めしく思います。

 

私自身が自分がかけられた言葉をもとに考えてしまっているように、やはり人は、自分の経験に基づいてしか考えられないものです。そのことに気づくことが大切です。自分は、自分が見てきた世界しか見えていません。人には、その人が見てきた世界しか見えていません。なのに、自分の世界からはみ出るものを理解できないと、「おかしい」とか「よくない」とか断じたくなります。

自分の見ている世界の狭さを認識し、他者を否定せず「そういう考えもあるよね」と受け入れられる人こそが、私の理想です。