おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

翌朝は、サイダーを飲む。

「五月の連休って、こんなに暑いんでしたっけ。」「毎年、そういう声を聞いている気がしますね。」

昨日天気予報を見ていたら、予報士とアナウンサーがそんな会話をして笑っていたけれど、その通りで、去年の今頃がどうだったかなんて毎年忘れて、毎年暑さや寒さに驚いている気がします。人間の記憶って、ほんとうに儚いものです。毎日感じているはずの暑さや寒さも1年経たないうちに忘れ去ってしまうのですから、たった一度しか起きなかった、大切に覚えておこうと思った記憶も、両手からこぼれ落ちるように忘れてしまっているはずです。そう考えると、なんだか自分で自分のことがわからなくなります。

天気予報士は、ゴールデンウィークの陽気や雹の様子を伝えたあと、明日は立夏です、と締めくくりました。暦の上では夏。それにふさわしい青空が、頭上に広がっています。

 

洗濯物を干して彼の家を出て、自宅に帰ります。その道中、コンビニでサイダーを買いました。キャップを捻ると、しゅっと鳴る爽やかな音が、今日の青空、微かな暑さを吹き飛ばす風にぴったりです。

炭酸って喉にくるし、お腹にも溜まって膨れてしまうから、普段はあんまり買いません。けれど、たまに無性に飲みたくなることがあって、それはどんなときだろうと考えたとき、ふと、いずれも帰り道であることに気づきました。それも、彼の家に泊まった帰りとか、ホテルの帰りとか、要するに、男性とそういう行為に及んだ帰り道です。夜であったり朝であったり、夏だったり冬だったり、恋人だったり男友達だったり、状況は様々ですが、そういう日の帰り道は、炭酸を飲みたくなるんです。

 

ペットボトルを傾けたときのしゅわしゅわした弾ける泡の感触、それが喉を通る時の痛みに似た感覚、を求めるのは、私の一体どのような心なのでしょうか。その爽快な喉越しは、何か気だるい、汚いものを洗い流してくれるような心地があります。

私は好き好んで男性と寝て、それなりに満たされた気持ちで帰路についている気がしていましたが(時には酔いに任せてしまって、二日酔いでげんなりした帰り道のこともあったけれど)、もしかしたらそうではないのかもしれない。自分の家に帰る時まで彼らのことを持ち越したくないから、炭酸の清涼感が欲しくなるのかもしれない。帰り道に炭酸が欲しくなるような男性と、付き合っているのがいけないのかもしれない。

 

今の彼に何の不満もないはずなのに、こんな些細なことから自分の気持ちに疑念を抱いてしまうのは、私の悪癖です。