おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

不登校の子に、学校は何をしなくてはいけないのか。

不登校の子供の多くは、どんなに割り切っているように見えても、やはり心のどこかに後ろめたさを感じているものだと考えています。私の場合はそうで、修学旅行に行かなかったこととか、入学した原籍校を卒業しなかったこととかを、未だに残念に思い出します。不登校の時期があったからこそ今の私がいるので、後悔しているわけではありませんが、それでも「ちゃんと学校に戻れたらよかったなぁ」と思います。

不登校の子たちと話をしていても、やはりそれを感じます。もう何年も学校に行っていなくて、特にそれを気にしていないように振舞っている子でも、ふと学校の話題が出ると表情が変わったり、「制服を着たことがない」などと自虐的に笑ってみたりします。心のどこかで、学校のことを意識しているのです。

「みんながふつうに学校に通っているのに、自分は行けない」と劣等感を抱くのは、つらいものです。(「行けないのではなく行かないのだ」と捉えられたらよいですが、それも難しく。)もし何の疑いもなく、楽しく、毎日学校に行けるのであればそれが何より良いことです。どの声かけで、どのタイミングで力が湧いてくるかわかりません。子どもに働きかけ続けることは、学校の使命なのではないでしょうか。

 

どんな働きかけをしたらよいのか。不登校だった私が救われた言葉は、「つらいなら学校に行かなくていいんだよ」というものでした。学校に行けない自分を許すのは、本人には難しいことです。また、子供を心配する保護者の方が言うには、勇気の要る言葉です。私は学校の先生にこそ、「つらいなら行かなくてもいい」という言葉を言ってほしいです。

しかし現場に関わっていると、学校の先生は、「行かなくてもいい」なんて言葉を口が裂けても言えないのだとわかります。子供には学びを受ける権利があり、「行かなくていい」という発言を学習権を否定するものだと受け取られてしまうと大変なことになります。

だから、学校は基本的には、不登校の子たちに「来てね」「待ってるよ」と言うことしかできません。

 

その上で学校ができるのは、連絡を絶やさないことです。電話や家庭訪問を教員と保護者、双方の負担にならない頻度で継続することは、大人同士の人間関係を築くことに役立ちます。保護者と教員の信頼関係があれば、子供も「先生の言うことに耳を傾けてみようかな」という気になるかもしれません。また、先生が家に来るだけで、子供は学校の雰囲気を感じます。「行ってみようかな」という気になるときがあるかもしれません。そうしたきっかけを生み出す可能性があるので、家庭訪問や家庭連絡は必要なのではないでしょうか。

パワーのない状態の子に、大人ができることは環境を整えることくらいです。その子が力を蓄えるために、どんなことが必要か。協力して考えていくと、良い効果が得られるかもしれません。

 

「こうしたら学校に行けるようになる」とか、「こうしたら学校に行かなくても幸せに生きる力が身につく」とか、はっきりしたやり方があればいいのに、難しいですね。

そんなことをつらつらと考える夏の日でした。