おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

卒業式は、「病んだ少女」からの卒業だった。

今週のお題「卒業」について。

小学校、中学校、高校、大学と「卒業式」なるものは人生で4回ほど経験してきた私ですが、何よりも印象深いのは、中学校の卒業式です。

あれは、ただ義務教育を修了したというだけではなく、もう少し意味のあるものでした。

 

「病んでいる」という状態をどう定義するかは難しいですが、中3の私には、年不相応に大人びて見せるところがありました。比較的落ち着いた学校だったのですが、体型や髪型と言い、服装と言い、校風にそぐわないものでした。私生活も同様で、20代前半のある男の人と仲が良く、塾をサボって彼の車であれこれしていました。(彼の名誉のために言っておくと、厳密には、「手を出され」てはいません。一線は、いちおう越えなかったので。)

 

父に捨てられ(と、当時は思っていました)、母も頼りにできなかったその頃、私が頼りにできるのは学校や塾の先生たちだけでした。しかし、先生もお仕事。構ってくれと言えば構ってくれますが、他の子が構ってくれと言っても構っています。愛に飢えた私にとって、それでは物足りなかった。誰かに自分だけを見てもらって、べたべたに甘やかされたかった。それにちょうど都合よく当てはまったのが、その男性との関係でした。

 

荒んだ書き方をしてしまいましたが、あの頃はとても楽しかったです。若くてイケメンで、女の子にももてるような男性が、私のことを構ってくれるのです。その優越感たるや。「好き」とか言われて、平日の仕事終わりにも、休日にも会ってくれる。車の助手席に乗って、信号待ちのときに手を握る甘やかさなんて、今でも思い出すと少しうっとりしてしまいます。「つき子が卒業したら、俺たち、ちゃんと付き合うんでしょ?」と言われたりして。少女漫画みたいな、そんな感じでした。

それはそれで思い出として美化されていますが、しかし、不健全であることに変わりはありません。今私が彼と同じ年齢になってみると、中学生なんて恋愛どころか、性愛の対象にすらなりません。本気(かどうかわかりませんが)で「付き合うんでしょ?」とか言ってる男性もちょっと変だし、そうでなければ私がよほど年齢に見合っていなかったのでしょう。何にせよ、普通でないことは確かです。

 

 その「普通でなさ」に気づいたのは、中学校の卒業式のときでした。式の後、制服のままで、彼とのツーショットを母に撮ってもらったのです。そういうことをしても、不自然ではない相手でした。

母が、嬉しそうに携帯のカメラをこちらに向ける。私も彼も普通にし並んで立っていますが、ふたりの間にあるものを、母に告げることは絶対出来ない。祝福されるべき卒業式なのに、どことなく漂う背徳感。そこに、違和感を覚えました。

そして、シャッター音。なぜだかわかりませんが、彼への気持ちは、そのシャッター音と共に、区切りが付いてしまいました。

 

中学を卒業してからも何度か彼に会いましたが、その頃のようなときめきも、どきどきも何にもなくて。車に乗るだけであんなに嬉しかったのに、それすら面倒臭くて。彼との関係は、中学時代の遺物だったのでしょう。私の心は、これから始まる新しい学校生活にすっかり奪われていました。高校に入ってからも、「年上と付き合ってる」なんて言ったら変な目で見られそうで。結局、入学後は一度も会わず、連絡を絶って関係が終わりました。

 

何故、卒業したら彼に魅力を感じなくなったのか。今でも疑問に思います。あのまま一緒にいたら、今頃どうなっていたのだろう、とか。

理由は謎のままですが、少なくとも高校からは、比較的「健全」な路線を歩んでいます。私にとって、不健全なルートから舵を切ったタイミングである中学校の卒業式こそが、「『病んだ少女』からの卒業」なのでした。