おつきさまの記。

ゆとりのある生活をしたい、ゆとり世代が日々考えたことを書き綴っています。

居場所がほしいのです。

 

僕の居場所は、僕。

(『見てる、知ってる、考えてる』中島芭旺 より引用)

 

 

じぶんの居場所。

それを私は、ありのままの自分を晒せる場所だと考えています。もっと正確に言うと、「たとえありのままの自分を晒したとしても、この人(たち)は私を受け容れてくれるだろう」と安心していられる場所のこと。

 

人には、依って立つ場所が必要です。

立つための足場がなければ、自ら踏ん張ることができません。

 

不登校になり始めた頃、私には居場所がありませんでした。

 

クラスでは、いじめられていました。仲が良いはずだった友人に無視されていたので、肩身の狭い思いをしていました。部活は楽しかったので、日中は別室登校をして放課後だけ部活に出ていた時期もありましたが、それも周りの目が気になって長くは続きませんでした。

なによりも、家庭が居場所として機能していませんでした。 父は外に愛人を作り、私たち家族を捨てて(と、あの頃は感じていました)出て行きました。母はそのため余裕がなく、不登校になった私に「家に居られると嫌、お金あげるから外で遊んでなさい」「私はそんなふうに育ててない」「もう耐えられないから、おばさんの家にいきなさい」などという言葉をかけていました。

 今でこそ、母のそうした言葉も仕方なかったと思えますが、中学生のころはその度にショックを受けていました。

家も、「不登校になってしまうような、弱い私」というありのままの姿を受け容れてくれる場所ではなかったのです。

 

 その後、「学校に行きたくないなら、行かなくていいんだよ。」と言ってくれる大人に出会いました。その言葉に、どれほど救われたことでしょう。不登校であることを咎めないその言葉を受け、私は少しずつ学校へと歩みを向けられるようになりました。様々なサポートを得ながら、中学校最後の半年はきちんと通学し、高校に進学しました。

 

居場所さえあれば、前に進むことができます。私にとって、「学校に行かなくてもいいんだよ」と言ってくれた人がいることが、心の拠り所でした。たとえまた何かあっても、その人に相談すれば、きっと受け止めてくれる。その安心感のおかげで、高校、大学、就職と、順調に進むことができました。

 

「見てる、知ってる、考えてる」という本を、今日買いました。10歳の男の子が著者です。そこには、「僕の居場所は、僕。」という一節があります。

 

たしかに、自分の居場所は、自分なのです。それが理想です。私は今、不登校であった自分も、人とうまくやれない自分も、「変わってるね」とどこに行っても言われる自分も、きちんと認めてあげることができます。できないことがあっても、「できなくたっていいじゃない。大丈夫。」と自分に言葉をかけてあげることができます。そんなふうに、自分で自分をきちんと認められることは、大切なことでしょう。

 

でも。

 

「自分が自分の居場所」であるためには、まず、どこかで居場所を得た経験が必要なのではないでしょうか。居場所を得る、という感覚がわからなければ、どうにもなりません。

 

不登校の子どもは、いま、居場所が感じられない状態にあるのです。まわりのひとも、自分自身も、その子ども自身を否定しているように感じているのです。(たとえ周囲はその人を前向きに支えようとしていても、感じ取れないこともあります。)

 

子ども自信が、受け容れてもらえたと感じたとき。家でも、学校でも、その子が求める場所が、きちんと居場所になったとき。

 

ようやく、前に進めるのではないかと思います。