私は不登校でした。
「不登校になる子」って、どういう子だと思いますか?
人間関係が作れない子?
性格が暗い子?
勉強がきらいな子?
「どういう子?」と聞かれて、プラスのイメージが湧いてくることは少ないでしょう。不登校って、一般的には、かなりの色眼鏡をかけて見られるものです。
仕事で知り合った方に、「私は不登校だったんです。」と自己紹介をすると、驚かれます。
驚かれるということは、少なくとも今の私は、「不登校」から連想されるマイナスのイメージをあまり持っていないということです。
まあ、毎日休まずに仕事をしていますし、ね。
何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童・生徒が登校しない、あるいはしたくともできない状況にある者(ただし、「病気」や「経済的な理由」による者を除く。)」
そして、年間で30日以上欠席した子のことを、「不登校である」というのです。
私は不登校でした。
中学2年生の冬頃から中学3年生に上がるまでは、全く登校せず。
理由は、ありがちないじめです。
クラスの子に徹底的に無視され、机に落書きをされ、何か言うと笑われ、そんなことが続いた結果、クラスにいることが苦痛になりました。
たしかに、当時の私は、「不登校になりそうな子」「いじめられそうな子」だったかもしれません。
おしゃれに気をつかっていなかったので、髪はぼさぼさだし、分厚い眼鏡をかけていたし、見た目はいまいち。運動はできなくて、仲の良い特定の友達とつるんでばかり。休み時間には、ひとりで本を読んでいることもしばしば。コミュニケーションが下手で、空気を読んで笑ったり話したりできない。
などなど。
その後転校したり、いろいろな支援を受けたりした結果、3年の夏頃まではちょこちょこ出席日数を稼ぎ、秋以降はほとんど毎日通い、何とか全日制の高校に進学できました。
そして今では、「不登校でした」と話すと、「え、そうだったの?」と驚かれてしまうような人間になっています。
自分の子どもが不登校になると、お父さんやお母さんは、「この子の人生は一生このままなんじゃないか」と心配になると思います。
自分自身が不登校の子は、「今さら学校に行ったって、お先真っ暗だ」と絶望的な気分になる日もあるでしょう。
でも、小中学生の頃に学校に通わなくたって、いくらでも挽回はできるのです。
人生80年の時代、平均寿命はますます伸びようとしています。そんな長い人生の中で、たかが数年間学校に行かなかったからって、そんなに大きな変化があるでしょうか。
大学に入ろうとして、浪人する人だっています。留学して、1年卒業が延びる人もいます。1年や2年のブランクは、大人になればなるほど、そんなに意識されないものです。
だから、大丈夫。
学校に行けない時期があったって、大人になれば幸せになれます。
それは、私が身をもって証明しています。
朝ごはんを食べる時間の確保が課題。
今週のお題は「朝ごはん」。
私の理想的な朝食は、窓から明るい光が射し込む爽やかな朝に、美味しいご飯。食べたあとに天気予報を見ながら、ゆっくりコーヒーを飲むことのできる、そんな優雅なひとときです。少しずつ心と身体を目覚めさせ、仕事に向けて高めていく時間。
現実は、とにかく栄養をお腹に詰めて、午前中のエネルギーを補給する時間となっています。
起床は6時。
(この時期だと外はまだ暗いので、窓から光はろくに射し込まない)
ご飯は前日の夕飯の残り。
(レンジでチンするのは虚しいし、眠いから味があんまりしない)
家を出る時間が7時。
(天気予報は見るけど、優雅にコーヒー飲む時間なんかない)
理想とはかけ離れた現実ですが、食べないと昼までにお腹が空いてしまうので、仕方なく食べています。
さらに困るのが、朝なかなか起きられなかった時。
最近は寒いので、布団から出るのが億劫です。また、忙しい日が続くと、睡眠が充分に取れないから起きられません。
10分、20分…と起床時刻が延びた場合、真っ先に削られるのが、朝ごはんを食べる時間。
全てを混ぜてとにかく口に運び、仕事に間に合うように、途中でも食べるのをやめて出発します。食べきれなかったご飯を処分する瞬間がたまらなく悲しい。
私の今の課題は、ゆっくり朝ごはんを食べる時間を確保することです。
欲を言うなら、コーヒーを飲みたい!
そのためには、朝5時半には起きたいところ。
(しかし実際には早く起きたら早く家を出て、仕事を始めると思います。激務。悲しい。)